Blogger Widgets

Selasa, 24 Mei 2016

Japanese-language Education Capacity Building Southeast Asian Teacher’s Training College Course 2015

2015日本語教育キャパシティビルディング東南アジア日本語教員養成大学移動講座
Japanese-language Education Capacity Building
Southeast Asian Teacher’s Training College Course 2015





2015年10月28日から12月11日まで、“2015日本語教育キャパシティビルディング東南アジア日本語教員養成大学移動講座”に参加させて頂きました。研究の目標は日本語を使うことに、より自信をつけること、日本の文化・社会について具体的に考えること、日本語を考える視野を広げ、インドネシアの先生方や学生とのネットワークをつくること、日本への留学について、情報を得ることです。この研修によってもっと沢山日本語で話したり、日本文化を勉強や体験をしたり、日本語の教え方を知ったりすることができました。研修生は12人教師と18人大学生でした。

6週間で国際交流基金関西国際センターで日本、日本語と日本文化を学びました。様々な活躍や授業によって日本のことを分かるようになりました。「日本理解と異文化理解」という授業に日本のこと、色々なテーマについて話し合って意見を伝えることができました。例えば、イメージというテーマについてディスカッションした時は研修生の皆が日本と日本人についてどんなイメージをもっているのかをメモして、他の研修生と話し合って、クラスの皆に説明しました。来日の前にのイメージのメモの隣に発見したことや新しい日本イメージを書くこともあります。

伝統というテーマについて学んだ時はクラスでの授業だけではなく、文化体験もしました。全員の研修生は和太鼓を体験しましたが、華道と書道は別々の選択で体験しました。2日間、京都に研修旅行もしました。清水寺や伏見稲荷大社に旅行して、日本人が大事にしていることはどのようなことか分かりました。私にガイドさんの話、芸子さんと舞子さんのことは興味深いでした。他の話題は行事、宗教、若者と伝統、ポップカルチャーでした。

日本理解と異文化理解の授業の第二回目には日本教育について勉強できました。クラスで。塾と受験、大学進学率、教育の問題点についてディスカッションすることだけでなく、小学校訪問もしました。第一小学校を訪問して、日本の小学校教育のシステムを分かるようになりました。インドネシアの小学校と違うことが多くて、給食や掃除などがいいです。教室とか学校、全て自分の物なので自分で守らないといけないということを幼いころから教えるのは大事な勉強になりました。

大学生についてディスカッションもありました。来日の前に日本の大学生の生活はインドネシアの大学生の生活と同じだと思うけど、来日後は違うが分かりました。インドネシアの大学生の方はアルバイトが少なくて、就活も卒業後にやります。大阪大学と関西学院大学を訪問しました。大阪大学と関西学院大学の大学生と話して、日本の大学生会の活動を分かるようになりました。

多くの日本のことを分かるために大阪フィールドワークもしました。大阪弁、大阪の文化、色々な大阪のことを学びました。私のグループの報告発表を見て、大阪で学んだことは何かを分かりました。

日本理解と異文化理解の授業にも家庭と結婚について勉強しました。少子化と家族の役割についてディスカッションもありました。家庭についてほかの活躍はホームビジットでした。お孫もできたご夫婦のお宅を訪問させてもらいました。訪問した時、お孫はお宅にいました。ご両親は共働きで、学校が終わったらおばあ様のお宅に向かっています。夜にご両親が帰ってきて、一緒におばあ様のお宅でインドネシアと日本の観光地のことを話しました。日本人の家族のことだけでなく、子供のこともわかりました。余暇の過ごし方、若者の価値観、高齢者の生活のことも勉強できました。

まとめの前にインドネシアの先生方の授業がありました。私の大学との教え方が違います。別々のテーマを教えて、面白かったです。ディスカッションやプレゼンテーションもありました。関西国際センターの先生方の授業は少しも大変ではなかったです。毎回宿題があるだと言っても楽しいし、授業には多くの意見などを伝えられました。ある宿題の答えは何かという感じはしなくて、授業の後は何が分かるという点に中心とし、毎回の日本理解と異文化理解の授業のまとめは役に立って、良い勉強仕方になりました。

スピーチする機会ももらいました。まずは良いスピーチについて教えてもらって、個別的にテーマを選んで、原稿を作りました。センターの先生方も一人ずつスピーチをチェックしました。スピーチだけではなくて、私は司会としてやらせてもらいました。スピーチ発表会によって聞く方が興味を持つために具体的な例を考えて、基本的な発表の表現を勉強して、司会のための表現も勉強できました。インドネシアの先生方と現場体験の日本の大学生、聞いた方に質問やコメントなどをもらいました。先生からコメントによって、私のスピーチを聞く方はだれかを調べて、分かりやすくなるように合わせて、どのような話し方で話せばいいかを考えるということが分かりました。すぴーちあとはとったびでおをみて、内容や話し方について自己評価をしました。スピーチ発表によってインドネシアの文化を紹介するチャンスをもう一度もらったら、いいスピーチで紹介しようと思います。

先生も学生も、研修生の皆がインタビューをしました。最初の授業にはテーマを選んで、質問を作りました。私のグループは日本での読書習慣というテーマを選んで、「本を読むのが好きか」、「子供の時、本を読んでもらったか」または「○○大学では読書グループやサークルなどがあるか」、「読書習慣が大切だと思うか」、三つの基本的な質問をしました。地域の方、大阪大学の学生、関西学院大学の学生、現場体験の日本大学生に日本での読書習慣について様々な答えを聞かせてもらいました。地域の方の話が聞き取りにくくて、大学生の皆と時代が違いし面白いこと等出てきました。四回インタビューが終わったら、結果をまとめて、インタビュー発表準備をしました。インタビュー結果発表会は関西国際センターのホールで行われました。インタビューをさせてくれた方々は質問したり、ご意見を伝えたり、コメントも書いたりして、非常に参考になりました。日本人との対話に慣れるのは大変だが、四回インタビューによって少しずつ勉強できました。インタビューからの得た情報を分析して、インドネシアと比較して、日本や日本人の事を深く理解できました。発表会の時は始め挨拶させてもらって、先生のコメントによる私の言い方が良くなったそうでした。

研修の目標による日本語の教え方も勉強できました。様々な日本や日本人の事を理解できるために日本理解と異文化理解の授業からその一つの楽しい教え方が分かった。現場体験の日本大学生とインドネシアの先生方も教えて、様々なメディアを使って教えるという教授法も知ることができました。学習者のニーズや学習者の目的に合わせて、コースデザインと日本語パートナースとチームティーチングについて勉強しました。知らなかった私は「まるごと」という教科書のことも学んで、「まるごと」の授業を体験して、理解できました。私にとって日本語で一番難しい、漢字の勉強仕方も習いました。エクセルを使ったタイピングによる漢字語彙の定着学習方法です。役に立つと思って、大学の他の学習者にエクセルで漢字を学び方法を教えました。学習者の視点でどのような授業が良いか、まずは何の事を考えれば良いかというメモは大事なメモになりました。

「日本語バラエティ」の授業では日本人の実際の生活で使われている様々な日本語を学びました。ホームビジットの電話の会話によって電話をかけるときにどんな会話をすれば良いかを分かりました。JFサイトを紹介してもらって、アニメや漫画の日本語も勉強できました。日本人大学生が茨城方言と若者言葉を教えてもらいました。

六週間、研修の間に私とほかの研修生の皆、全員一人一人の自分に必要な学習を、自分で進めていくために学習相談、または仲間と日本語学習について話し合いました。研修から分かったこと何かを覚えて理解できるために学習の振り返りをしました。研修生が研修中の自分の目標を考えるための時間ももらって、研修のプログラムによる自分の目標を目指すために何をするかを分かりました。特に日本語の教師になるために教材や資料を探して、集めてきました。帰国後の学習に役に立つ教科書を見ること、注文こともできました。「情報リテラシー」の授業によって日本語学習に活用した様々なウェブサイトを教えて紹介してもらいました。

計画してもらったプログラムの以外の活躍などありました。広場祭りでは学生の研修生の皆がポチョポチョというインドネシアのマナド市の伝統的な踊りを踊りました。日本と外国の文化も体験できました。広場祭りの後も交流会があった時、ポチョポチョのパフォーマンスしました。現場体験の日本大学生と一緒に交流会も行いました。ポチョポチョだけでなく、三つのインドネシアの伝統的な踊りと武道もパフォーマンスしました。関西国際センターが行ったふれあい祭りの時も研修生の皆が伝統的な服を着て、ファッションショーしました。他のプログラムの参加者は外国人で、多くの国のコーナーで文化理解または文化体験ができました。折り紙も日本文化です。センターの図書館で日本語パートナースの人から学びました。

六週間、研修の間に日本語、日本文化、日本人、日本語の教授法などを勉強できました。多くの新しい情報や分かったことなどもらいました。日本理解と異文化理解の授業は楽しく勉強できました。日本語の教師になったら私にとって楽しい授業を実行することは難しいと思うが、大変という感じがせずに生徒達が意識をもらって、勉強するということのためにどのような授業なのか、どのような教授法で教えれば、良いのかを分かりました。日本理解と異文化理解の授業の間に不正な答えることを心配はなくて、多くの質問や意見などを伝えることができて、楽しく勉強したので、私が教師の立場でそのような教授法で教えれば生徒たちが楽しく感じるでしょう。日本文化といえば芸子さんと舞子さんのことを思い出して、深く知って調べ続けば役に立つ情報になると思っています。

他の分かったことは日本の小学校のシステムことです。インドネシアの小学校と違って、規則や時間を守るということをはじめなぜ日本人が良い性格をもっているのだろうかを分かりました。次はホームビジットのときに気づいたことで、日本の家族は外から冷たく見えるが暖かいです。センターの周りに多くの伝統的な家が建てられて感心しました。ホストファミリーのお宅は外から見ると現代の家だったが、和室があって日本人は伝統を守るということです。ホームビジットの後にもメールを送り続けています。

インタビューと大学訪問をはじめ日本人と多くの話すチャンスがもらいました。クラスで勉強してきた日本語と違う日本語もよく聞きました。特に大阪弁だが、茨城方言、若者言葉、アニメや漫画の日本語も勉強できて、使い続けようと思います。

日本語学習のためのウェブサイトを紹介してもらって、簡単で日本語ニュースを読みたいと思っている私にとって役に立つと思います。漢字をはじめ日本語学習とは楽しく簡単に勉強できるはずです。

良い研修で、日本語の教師が効果的な教授法で教えられるように続けばと思います。効果的に良い日本語の教授法を見つけようということです。日本とインドネシアの将来のために具体的な協力が必要です。



では、間違ったところがあったら、フェードバックをお願いできるでしょうかと思っております。

Rabu, 18 Mei 2016

Kopi Sumatera di Amerika



Judul : Kopi Sumatera di Amerika
Penulis : Yusran Darmawan (Kompasianer of The Year 2013)
Tahun : 2013
Penerbit : Noura Books, Jakarta
Tebal : 268 halaman
ISBN : 978-602-1606-08-7


“Gara-gara keranjingan menulis blog, aku dapat beasiswa ke Amerika. Kubayangkan, aku akan tinggal di sebuah negara megah dan adidaya, tempat segala impian bisa terwujud. Namun, aku melihat sepotong kenyataan lain. Orang miskin menuntut haknya. Pengemis dan homeless masih tersisa di sudut-sudut kota. Di tengah perayaan hari kemerdekaannya, ternyata masih ada teriakan-teriakan pencarian kebebasan.

Pada saat yang bersamaan, aku menemukan keindahan negeriku. Kau akan tahu bahwa kopi andalan Starbucks adalah kopi asli Indonesia. Patut berbangga, koleksi komik RA Kosasih—sang legenda komik Indonesia—berjajar rapi di Library of Congress, perpustakaan terbesar di dunia. Dan hatiku sungguh haru, saat menonton pertunjukkan wayang Bali yang dipentaskan oleh seorang professor Ohio University.

Mungkin Indonesia memang masih perlu belajar dari dunia luar. Namun jika mau melihat ke dalam diri, sesungguhnya kita punya kekuatan yang luar biasa!”




Tak bisa dipungkiri. Setelah mengalaminya sendiri, memang masih terlalu banyak ilmu yang perlu disimpan untuk dibawa pulang ke Indonesia. Aku bersyukur bisa mencicipi bagaimana rasanya bertegur sapa dengan dunia luar dan melihat bagaimana orang-orang disana hidup. Meskipun aku mengaku masih terlalu jauh dari kualifikasi untuk bisa berbincang jauh, dapat memahami karakter dan pemikiran mereka, serta menggali makna kehidupan hanya dari perkataan yang mungkin tak lebih dari setengah halaman kertas A4. Dan membaca buku ini membuatku belajar untuk mengambil makna dari sudut pandang yang lain, memperhatikan lingkungan dan lebih peka, terus belajar serta berinteraksi dengan lebih banyak orang. Bersyukur dengan yang sekarang, dipilih untuk menjadi pendengar setiap orang-orang di sekitar ingin bercerita mengungkapkan isi hati, sementara aku belajar dari mendengarkan kisah mereka itu, namun masih kurang, kurang, dan kurang. Harus belajar lebih banyak lagi. Manusia tak akan pernah puas walau ilmu pengetahuan atau apapun itu yang ia inginkan telah terpenuhi.



Dalam bukunya ini, penulis menceritakan banyak pengalaman selama ia belajar di negeri adidaya, Amerika. Mengungkapkannya dengan kata-kata, mencoba menorehkan tinta menggambarkan Amerika dalam kanvas imajinasi pembaca. Tak hanya mengungkapkan apa yang ada di Amerika namun juga semua pemikirannya tentang negeri Paman Sam dikaitkan dengan apa yang ada di tanah air.

Dari belajar memahami sistem belajar di kampus Amerika, juga pendapat penulis tentang bahasa, di mana pemikiran, ide, gagasan lebih dihargai tinggi meskipun bahasa Inggris pas-pasan. Perbedaan pemikiran siswa, mahasiswa Amerika dengan Indonesia. Penulis juga menceritakan semua bau Indonesia yang tercium di tanah Amerika. Dari kopi asli Indonesia, wayang dan lain sebagainya seperti yang telah diungkapkan. Melihat dan mendengar mahasiswa Jepang yang belajar bahasa Indonesia saja sudah senang, bahagia dalam hati, apalagi jika kuterbang juga ke Amerika melihat orang-orang di sana bermain gamelan? Bahkan salah seorang profesor dari Ohio University memainkan wayang Bali.

Penulis buku “Kopi Sumatera di Amerika” ini pun menceritakan bagaimana beberapa pemandangan tak terduga di sudut-sudut kota sebuah negeri Adidaya tertangkap retina matanya seperti yang diungkapkan dalam sinopsis buku. Aku berpikir bahwa semua bangsa sama setelah membaca bagian ini. Setiap bangsa pasti memiliki masalahnya masing-masing. Tinggal bagaimana cara kita menyelesaikan masalah itu. Tuhan Maha Adil.


Sejak berkuliah di kampus pendidikan, Universitas Negeri Jakarta pun isi kepalaku dipenuhi dengan masalah pendidikan. Harus itulah yang selalu aku lihat agar aku mampu bekerja profesional. Dari pendidikan usia dini, perguruan tinggi. Formal, informal, serta non formal. Berkaitan dengan itu, menjadi salah satu bahasan yang menarik ketika membaca tulisan Yusran mengenai anak-anak di Amerika. Jelas berbeda dengan perlakuan orang dewasa di Indonesia yang lebih terkesan selalu menggurui dan memarahi. Orang tua di Indonesia yang berpandangan bahwa anak haruslah mematuhi semua kata orang tua karena orang tua lebih banyak tahu dari anak kecil masihlah terlalu banyak aku rasa. Pemikiran seperti itu menjadikan cara mendidik yang kurang baik karena tak mampu memaksimalkan potensi anak. Orang tua di Amerika terkesan selalu menyamakan derajat anak dengan mereka. Orang tua yang mengucapkan ‘maaf’ kepada anak kecil adalah hal biasa, begitu juga ‘terima kasih’. Mereka mampu menjelaskan apapun kondisi mereka kepada anak sehingga anak mengerti.

Satu hal lagi yang tak boleh terlewatkan ketika kita, seorang muslim, menceritakan pengalaman hidup di negeri orang, sudah pasti ialah menjalani hari-hari sebagai pemeluk agama Islam di negeri dengan mayoritas warga non muslim. Dibandingkan denganku yang tak menjalani puasa dan hari raya di negara orang, Yusran bercerita lebih banyak tentang muslim di Amerika. Aku pun paham bagaimana rasanya bertemu dengan sesama muslim di negeri minoritas seperti Amerika. Beribadah di masjid tertua di Jepang—Masjid Kobe—pun sudah senang sekali rasanya. 


Dan masih banyak cuplikan kehidupan Yusran di Amerika yang lain yang pastinya menginspirasi. Sebagai anak yang tumbuh di keluarga yang untuk membeli buku sekolah pun harus bersusah payah, serta tak dikenalkan dengan kebiasaan buku sejak kecil, ingin rasanya membaca lebih banyak buku seperti karya hebat Yusran Darmawan ini.




Yusran melihat nilai kehidupan yang berharga dari sebuah hal yang mungkin jika orang lain lihat bukanlah sesuatu yang seberat itu. Yusran mampu menarasikan pemikirannya dengan baik. Sebuah pemikiran kritis yang positif dan berpandangan jauh ke depan. Caranya mengambil sudut pandang akan suatu kejadian sekecil apapun itu mampu ia ungkapkan sehingga siapapun yang membaca catatan sejarahnya akan ikut berpikir.

Berada jauh dari tanah air memberikan pelajaran yang sangat berharga. Seperti yang ia ungkapkan betapa kita masih jauh dari negara-negara maju itu. Betapa masih banyak hal yang kurang dari kita. Banyak hal yang harus kita pelajari dari dunia luar. Namun Yusran seolah tak menampik bahwa seperti apapun kondisi kita saat ini, satu-satunya alasan mengapa kita masih ada di sini hanyalah karena kita masih dan akan terus mencintai Indonesia.


Tak ada yang mengharamkan ilmu pengetahuan. Menggali ilmu adalah hal yang penting. Untuk itu kita berjuang mencari setetes demi setetes air kesana kemari tak lain demi bangsa sendiri. Ilmu pengetahuan bukan untuk ditinggalkan, bukan untuk diterlantarkan hanya karena kita merasa tidak butuh. Ilmu pengetahuan bukan hanya sebagai pajangan di atas meja kerja. Ilmu pengetahuan bukan sesuatu yang harus ditakuti. Yang perlu kita takutkan ialah ketika kita menjadi orang yang semakin berakal namun akal kita menutupi mata hati. Menjadi manusia pendusta, bermuka dua, naif, dan keji.

Melihat ke bawah perlu agar kita bersyukur. Namun ilmu pengetahuan, pengalaman berharga di luar sana masih terlalu banyak, untuk kita cepat merasa puas. Pengalaman berharga yang mungkin tak akan kita dapatkan di tempat lain. Pengalaman berharga, bermanfaat untuk diri sendiri, keluarga atau mungkin bangsa dan negara.

Tak hanya pembelajaran dari luar. Ketika kita di luar, jauh dari tanah pertiwi terkadang, seolah terngiang nasehat ibu di rumah, justru tanah pertiwilah yang memberikan pelajaran berharga. Selain itu, selalu berada di zona aman tidaklah buruk. Namun seseorang yang terjatuh di pertarungan bukanlah orang gagal, mereka yang tak pernah maju dalam pertarunganlah orang yang tak pernah berkembang. Selalu berada di lingkungan yang satu pemikiran dengan kita bukanlah hal berbahaya. Namun orang sukses adalah mereka yang berani keluar untuk menjemput pengalaman bak berlian. Mendapat ilmu pengetahuan yang telah disajikan, kita harus bersyukur, namun kita pun harus malu karena tak berkembang jika tetap diam dalam zona aman tanpa mencari zona pertarungan untuk meraih medali emas.



Untuk saat ini hanya ini yang bisa kusampaikan. Sekian dan terima kasih.






Jaya Indonesiaku!

Salam! :)b

Rabu, 11 Mei 2016

Boku Dake ga Inai Machi



Judul : Boku dake ga inai Machi (僕だけがいない街)
Tipe : TV
Episode : 12
Status : Completed
Tayang : 8 Januari 2016 sampai 25 Maret 2016
Adaptasi : Manga
Genre : Mystery, Psychological, Seinen, Supernatural


Anime ini menceritakan tentang seorang pemuda yang memiliki kemampuan yang melemparnya kembali ke masa lalu baik itu 1 jam yang lalu atau 18 tahun yang lalu karena ia seharusnya dapat mencegah sesuatu yang buruk terjadi pada saat itu. Suatu ketika ia terlempar ke masa ketika ia SD dimana sebuah pembunuhan beruntut kepada 3 orang siswa SD seusianya dengan 2 orang diantaranya adalah teman sekelasnya. Ketika dia hanyalah manusia berukuran tak lebih dari 120 cm. Ketika dia hanyalah anak kecil yang tak punya kekuasaan. Tak ada orang dewasa yang percaya dengan ceritanya. Hanya dengan beberapa sahabatnya ia berjuang bersama melindungi teman mereka yang menjadi target. Hingga akhirnya ia yang menghadapi bahaya, berdiri berhadapan dengan pelaku pembunuhan sendirian.




Anime ini menyadarkanku akan suatu nilai penting yakni kepercayaan. Menyaksikan perjuangan sang tokoh membuatku ikut merasakan kesakitannya. Bagaimana rasanya ketika tidak ada orang yang percaya pada kita hanya karena kita anak kecil. Bagaimana rasanya ketika tak ada orang dewasa yang mempercayai cerita kita karena menganggap itu sebagai imajinasi anak-anak. Hingga akhirnya anak-anak kita harus menghadapi keadaan bahaya sendiri. Anak kecil melawan orang dewasa yang memiliki kekuasaan. Padahal hanya sakit dan sesal yang tertancap di hati ketika nanti pada akhirnya kita menemukan buah hati kecil kita dalam keadaan yang tak seharusnya ia alami andai kita percaya padanya.


Mungkin 10 tahun, 20 tahun, atau 50 tahun ke depan akan semakin sulit untuk kita menemukan orang yang percaya pada kita. Disaat kita tahu bahaya mungkin saja akan terjadi, tanpa bukti dan kawan-kawannya, yang membuat kita tak bisa berbuat banyak, tak bisa mengambil tindakan apapun jika seorang diri. Kita harus pula merasakan sakit ketika tidak ada yang percaya pada kita. Tidak ada satu tangan pun yang bersedia menyambut ajakan tangan kecil ini.

Orang semakin berpikir realistis. Rasional. Ketika kita tahu ada hal buruk yang mungkin akan terjadi jika tidak kita hentikan, tidak kita protes. Tapi membuat orang percaya pada idealisme kita, mencoba mengajak orang untuk tak terlalu rasional, mengajak orang untuk bergerak dan tak hanya duduk diam. Tak sedikit yang menolaknya dengan anggapan kita profokator.

Hal seperti itulah yang aku yakin kalian pun berharap agar tidak terjadi di atas tanah pertiwi. Agar warga dunia tak tumbuh menjadi orang dengan otak dan hati dipenuhi akan rasionalitas.




Anak kecil. Dari yang kupelajari, baik di Amerika, Jepang, sikap orang dewasa terhadap anak kecil sangat berbeda dengan warga kita. Mereka selalu tersenyum, menyapa, dan menegur, mengajak berbicara ketika bertemu dengan anak kecil. Pegawai restaurant membukakan pintu jika ada anak kecil akan masuk. Membukakan pintu dengan senyum, sapa, dan tertunduk hormat memperlakukan mereka bak raja atau ratu. Mereka selalu mendengarkan kata anak-anak. Meminta pendapat anak-anak. Bercerita apa yang mereka hadapi sebagai orang dewasa kepada anak-anak secara terbuka. Mereka meminta maaf jika melakukan kesalahan pada anak-anak atau membuat malaikat-malaikat kecil itu terluka. Pemikiran orang dewasa dan anak kecil memang berbeda. Namun dalam rapat mendengarkan pendapat banyak orang yang beda pemikiran bukankah akan menciptakan project yang sempurna?


Aku mencintai anak-anak. Meskipun aku bukan tipe orang yang mudah akrab dengan anak-anak atau dicintai mereka, tapi aku tak mau ada orang dewasa yang menyakiti adik-adikku. Anak-anakku. “Karena kalian adalah idealismeku”. Tanpa kalian, kami orang dewasa yang telah terlalu banyak diracuni realita kehidupan tak akan pernah mendengarkan kata hati kecil yang terdalam. Keingingan kasih sayang yang polos, salah satu yang sudah ada pada kita sejak kecil. Sejak terlahir. Sesuatu yang kini telah tertutup banyak fakta logika tentang dunia.












Jaya Indonesiaku!

Salam. :)b